死ぬこと  生きる事
明日に生きるあなたの為に

沙織のことがあって たくさんのサイトにいきました
そこで 目にする言葉は 「重い話です」とか「心してよんでください」という言葉でした
その時「死」って重い話題なんだと改めて感じさせられました

そして とても 生きている人たちとの差が感じられ 沙織は手の届かないところに
いってしまったんだと思い知らされました

しかし よく考えてみると 私達生物は必ず死ぬわけで しなない生物はいませんよね
生れてきたら 必ず死ぬわけで なのに どうして タブーのような存在なんでしょ
それは つまり 見たことがないから? わからないら?
昔 子供の頃 学校の先生にいわれました 
人がこわいとかんじるとき それは それを理解できないからだよ
へびをみて きゃーっとさわぐ子供に先生は蛇の生態をしらべてごらんと
おしえてくれました わからないからこわい
死もいったことがないから どうなるのかわからない から なるだけ
考えないようにしたい
そう 思えば 今 学校で生まれてきたときの話や誕生の神秘は授業になってるけど
死の授業ってきいたことがないですよね
「命を大切に」とか 「生きる事を大切に」とかいうけれど
今を生きているものにとって 生きている事の大切さは見えにくいように思います
さくらも 大切な人を亡くして はじめて 生きることの大切さを感じ始めているわけで 
元気いっぱいの子供に「命の大切さ」を教えるためには 
やっぱり 死というものからみないと見えてこないように思うのです
最近  自殺体験とかいって サイトで出会って簡単に死んでいく若者が
いたけれど 体験って 一回で終わりですよね

沙織は自分の意思とは関係なく 心臓が動かなくなり 脳も止まってしまいました
今まで どこを探しても異常はなく 健康体でした
倒れるまでどこにも痛みも辛さもなかったのです
そんな若くて健康でどこも辛くない体でも   いつ倒れるかわからないってことですよね

 沙織の身体は食事も取れなくなって おしっこさえでなくなりました
身体をつかってなにもできなくなってしまったのです
生きたくても生きられなかったのです
死は向こうのあっち側ではなく 生の直線上にあるんだと思うのです        
医学からいえば死は無 nothingだそうです

それでは 今まで想っていたこと 感じていた心 肉体では指せない部分
つまり 精神のところはどこにいったんでしょねー
最近 読んだ本には 死は怖くなく さなぎから蝶になるように自由になれることで
次の人生への成長の扉だと書かれていました
沙織は使えなくなった体から離れて 自由になったということでしょうか
でも たとえ 次の人生があったとしても 今の人生には2度と戻れないし
沙織は今を生きる人とは 2度と会うことも 触ることも けんかすることも
おなかをかかえて 一緒にわらうこともできない・・・
やっぱり 死ぬということはそういうことです

人は必ず死にます もしも 今 生きていることが辛くなったり
悲しみで押しつぶされそうな人はそこから逃げてください  とりあえず 
そして 別の場所で気持ちが落ち着くまで待ってみてください
ゆっくり時間が経つのを待ってあたりをよくみてください きっと
生きる道がみえてくるはずです
この地球にうまれ 長い時間の流れの中でのあなたです  
その長い時間を考えたら 人が生きれるのはたった80年ほど
これは地球のまばたき だそうです
逃げた場所でパワーをためて そして 地球がまばたきするあいだ
どうか生きて 生きて 生き抜いて ください
そして 受け継がれてきたあなたの命を次につなげていってください

たった16さいでわけも分からず見えなくなったあの子の分も・・・